広域連携観光情報誌『motto』埼玉×長野×上越

特集 SAITAMA 「伝」~この地の歴史を語る こぼれ話―その3

2019 春 Vol.48

最終回は、全国統一を果たした豊臣秀吉の小田原合戦のお話をご紹介させていただきます。


― 鉢形城の終焉・・・小田原合戦でも落ちなかった城のその後。

豊臣秀吉の全国統一に最後まで従服をしなかった北条氏。1590年に小田原合戦が始まります。ここ鉢形城は、前田利家・上杉景勝らが率いる北国軍に包囲されました。その軍勢は約5万。

一方、鉢形城に陣をとった北条氏邦は、3,500人の兵力で1ヶ月近く攻防戦を繰り広げたと伝えられています・・・さて、北条の中でも一番の軍勢を誇っていたといわれる氏邦軍。

天然の要害をもつ鉢形城であっても、この軍勢の差で、1ヶ月も。。。

在地豪族であった藤田氏の菩提寺で、氏邦と夫人のお墓がある正龍寺には、当時の様子を記した戦記物があるのですが、氏邦軍は・・・13,500?それとも3,500?さぁ、どうなんでしょう。

ことの真相は、未だ解き明かされていませんが、そんな逸話も残されていんです。


毎年、5月に「寄居北條まつり」というお祭りが開催されています。

この小田原合戦の様子を、500人近くの人が参加し武者姿で街を歩き、最後は鉢形城下の荒川玉淀河原で攻防戦、一騎打ちを再現します。ぜひ、興味が湧きましたら遊びにお出かけください。

その際に、鉢形城公園や歴史館、正龍寺なども回ってみてはどうでしょう。


寄居北條まつりに関する情報はコチラでご確認ください。

https://www.town.yorii.saitama.jp/soshiki/13/58yoriihojofeskaisaikettei.html


話しをもとに戻しますと、この合戦の結末とその後は・・・というと、
最終的に、氏邦は、兵の助命を嘆願し鉢形城を開城します。氏邦は金沢へ。
その後、関東に徳川家康が入国すると、廃城となり、徳川家家臣の日下部定好や成瀬正一らによってこの地は統治されます。氏邦の死去と同じ頃、成瀬氏もこの地を離れます。それはこの地の安定が認められたということ。江戸時代には、江戸のまち開発で秩父からの木材を荒川河川で江戸に運ぶ中継地点として機能していったという歴史がここにあるんですね。

― 石塚館長さん、今回は面白いお話、ありがとうございました。

埼玉にこのような歴史あるお城があったことを、今回の取材で知ることができました。
お話しを聞いて、鉢形城公園を歩くとその面白さや魅力が伝わってきました。
館長は案内をしたり、発掘調査している際に、来訪者の方から、「お城はどこ?」とよく聞かれるそうです。
「ここですよ!」と。(笑)

お城と聞くと立派な天守をついつい思い込んで想像してしまいますが、ここ鉢形城の歴史と地形は、天守に勝るとも劣らない魅力があります。
国の名勝地「長瀞」、県の名勝地「玉淀」、町の名勝地「四十八釜」と自然にも恵まれたこの地に、この春おでかけしてみませんか。

 (ライター:いさお)